The Journal of Buddhist Thought and Culture
Institute for Buddhist Studies
발표논문
遺物から見た日本古代の仏教伽藍
菱田哲郎1
Published Online: Apr 01, 2019
국문초록
日本列島の本格的な仏教伽藍は、588年に百済からの僧侶や技術者の渡来を受けて造営が開始した飛鳥寺に始まる。その後、7世紀前半にはおもに畿内地域で寺院が建立され、7世紀後半から8世紀前半にかけて、さらに造営が拡大し、宮城県から熊本県の範囲に至るまで寺院が建立された。その数は、瓦が出土する寺院遺跡だけでも600ヶ寺を下らず、また文献では『扶桑略記』に記された持統6年段階に545ヶ寺という数字が、信憑性をもつものと考えてよい(菱田2005)。これらの寺院は、法隆寺のように法統を継承する寺院もあるが、多くは廃寺となっており、継続した寺院であっても、創建時の伽藍から変更が加えられている場合が多い。したがって、発掘された各地の仏教寺院の伽藍においてどのような活動がなされていたか、とくに法会などの儀礼がどのようにおこなわれていたかという点については研究が進んでいないのが現状である(山岸1991)。本報告では、古代寺院に対する発掘調査による出土遺物のうち、法会などの儀礼に関わる資料を取り上げ、日本古代の仏教伽藍の機能について検討することにしたい。